龍雲山 興禅院 と号する曹洞宗のお寺です。
町誌「湯布院」(平成元年2月1日発行)の記述によると、室町時代の頃、最初この寺は鶴見岳の麓に創建され、文明5年(1473年)に現在地(石松)に移転したとあります。
由布院キリシタン史に興禅院教会説があり、一時はキリスト教の教会堂があったと伝えられています。
慶長の大地震(1596年)により伽藍ことごとく崩壊したが、石垣原の合戦後、当時由布院を支配した細川忠興の命により慶長5年(1600年)に再建されました。今でも瓦などに細川家の家紋(九曜紋)を見ることができます。全盛時代には、由布院内に末寺が29ヶ寺あったという。長く仏教の中心的存在でした。
その後、度々火災に遭い再建を繰り返してきました。昭和48年(1973年)の大火の後に再建されたのが現在の本堂です。
平成28年(2016年)4月16日の大地震により、山門の仁王像などの石像、鐘楼、墓石に大きな被害が出ましたが、修復されて現在に至っています。
境内には、禅海・お弓の像、ぼけ封じ観音像、十三仏、十六羅漢、観世音菩薩、子安観音像、キリシタンの墓、六地蔵、カーンの板碑、馬頭観音像などがあります。
また、興禅院広場の桜、境内のアジサイ、山門を彩る紅葉など四季折々の花々も見所となっています。
耶馬溪の交通の難所を鑿で掘り抜き「青の洞門」を完成させた、菊池寛の歴史小説「恩讐の彼方に」の主人公「禅海和尚」得度の寺としても知られています。
毎年お盆の8月13日には、興禅院広場に祭壇と櫓を組み、初盆を迎える故人を偲んで東石松合同慰霊祭を興禅院ご住職の読経のうちに執り行い、区民揃って供養盆踊りを実施しています。
【資料】興禅院と禅海和尚(資料提供:土師敬士氏) ⇐ クリック(タップ)